メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬
アカデミー賞監督賞に輝いた「ブロークバック・マウンテン」に続き、異色のカウボーイもの「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」と「アメリカ、家族のいる風景」の2本が公開された。まずは、カンヌ映画祭主演男優賞と脚本賞に輝く「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」のレヴューから。
カウボーイ同士は「馬上の友」といって、特別な同志愛(性的な関係を含む)で結ばれている。そのことは、「ブロークバック・マウンテン」のレヴューでも書いた。本作も男同士の友情をモチーフにしているが、テーマは「約束」である。
「約束」とは何か?
予見可能なことを機械的に守るのでは約束とはいえない。約束とは、予見不可能な未来のことを、お互いに「信じて欲しい」と求め合うこと。神に委ねるある種の「信仰」のようなものである。
それは常に、「裏切り」や「忘却」の可能性と背中合わせだが、まったくこれらの「必然的可能性」なしに反復されたなら、単なる心理的、論理的な「帰結」になってしまう。
「約束」とは、不可能性の経験であり、そこにこそ、新たな価値を見出すチャンスがあるのだ。
主人公のピートは、見返りのないことを知りつつ、「約束」を果たそうとする。
「国境」もモチーフの1つ。
ここは、文化の混交地帯。単純な線引きでは分けることができない、何でもありのカオス状態である。本作は、善悪を明確にせず、絶えずコロコロと変わるカオスのように、不条理な「世界のありよう」を描いている。
時間軸をずらしたした演出と、先の読めない展開が観客を混乱させるが、最後にはまさに「お約束」通り、すべての関係が1つに収斂していく。ただし、想定外の結末となる。
アメリカのテキサス州、カリフォルニア州は、19世紀半ばまでメキシコ領だった。
両国の戦争でアメリカが勝ち、国境線が引かれて以来、メキシコ側からの越境を巡って両国の攻防が絶えない。アメリカでの労働収入は、メキシコの十数倍にもなるからだ。
2004年現在、テキサス州は人口約2,250万人。そのうち120万人が不法移民で、州内の外国生まれの3分の1以上、州人口の5.4%を占めている。
タイトルのメルキアデスは、不法移民のメキシコ人カウボーイ。
国境警備隊の追跡に怯えながら、同じカウボーイのアメリカ人ピートとテキサスの牧場で働いている。
メルキアデスは、飼っている山羊がコヨーテに襲われそうになった時、彼が撃った銃声を聞いて駆けつけた新米の国境警備隊員マイクに誤射され死亡する。
彼は、不法移民の悲劇を体現する、文字通りの「スケープ・ゴート」だった。
以後、彼は3度埋葬される。
1度目は、マイクが、自分の誤射による殺人を隠蔽するために。
2度目は、狩人に死体を発見され、司法解剖の後に。
3度目は、かねてからピートに頼んでいた、「約束の土地」に。
テキサス州も、3度の統治を経験している。
スペイン領、メキシコ領、アメリカ合衆国の・・・。
メルキアデスは、テキサス州=国境に住む先住民のメタファーともいえる。
本作では、反復が多用される。反復は、「署名」「契約」「肯定」といった行為でも明らかなように、人間には必然である。
それらが価値を持つには、自らのうちに繰り返しを含んでいなければならないからだ。同じやり方であっても、前とは異なった意味を創出して、未来へと開かれていくのである。
ピートは、「死んだら故郷のヒメネスという村に埋葬してくれ」と頼んだメルキアデスとの男の「約束」を果たすために、犯人のマイクを誘拐。死体をロバに積み、険しい山中の国境を越える長い逃避行をする。
マイクに、メルキアデスの受けた痛みを感じさせるために、死んだ男の洋服を着させ、彼が死の直前に飲み残したカップのコーヒーを飲めと命じるピート。さらに、腐臭がひどい死体に付き添わせる。(報復=反復)
以前、ピートはメルキアデスに、暇をもてあましているマイクの妻との火遊びを勧めた。それとは知らずに、マイクはメルキアデスを殺してしまうが、これは一種の報復(反復)である。
女房持ちの保安官は、独身のピートと交互にテキサスのレストランの女主人と不倫している。同じ穴のムジナ同士のこと。自分の不倫を隠してもらうため、ピートとマイクの逃避行を大目に見る(お返し=反復)。
旅の途中、ガラガラ蛇に噛まれたマイクを助けるのは、国境警備中の彼に鼻をへし折られたメキシコ女性。彼女は、お返しにマイクの鼻に熱いコーヒーをぶっかけ、やけどをさせて仲直りする=報復(反復)。
旅の終わりに 、メキシコの露店で、女の子が音の狂ったピアノで「別れの曲」を弾く(以下の2つの別れは、この反復)。背後には、かつてマイクが妻とセックスしながら観たTV番組の画面が映っている。この番組は、道中に出会った親切なメキシコ人たちも楽しんでいた。マイクは、思い出して泣く(反復)。
独身のピートは、不倫相手の女主人に、「結婚してくれ」と長距離電話で申し込むが、断られる。誘拐犯人への報復(反復)か。だが、彼女は泣いていた。
マイクが妻との家庭生活を省みないため、彼の妻はメルキアデスとセックスし、マイクの逃避行中に旅立つが、これも報復(反復)である。
国境を越えた最初の村の入り口に、一人暮らしの盲目の老人がいた。彼は目が不自由なので、善悪を見分けることはできないため、「信じるか、信じないか」で行動する。
ピートとマイクは信頼されたため、歓待を受ける。
ところが、国境警備隊員に対しては、彼らを信頼していないため、「2人は来なかった」と、ウソをついて追い返す。「確かか?」と聞く隊員に、「確かなもんか。そう思うだけ」と応える老人。
確かかどうか答えるのは、気分次第。非一貫性なのだ、と。
人生に絶望しているその老人は、「殺してくれ」と2人に頼むが、ピートは「神には背けん」と言って立ち去る。
盲者は、見返りを求めない「歓待性」と「愛の卓越」を行使する、メシア的な存在なのだ。
(ネタバレ)
長旅の果てに、ヒメネスという村も、メルキアデスが肌身離さず持っていた写真に写っていた妻子も、存在しなかったことが判明する。
騙されていたたことに 気づくピート。
しかし、写真とメルキアデスの残した言葉 を頼りに、よく似た場所を見つけて、ヒメネス村と名付けて、看板を立てる。マイクに墓を掘らせて、埋葬させ、懺悔させる。
ヒメネス村は存在しなかったが、自分たちの行為に満足した2人。
男の「約束」を果たしたピート、贖罪したマイク。
この満足と引き替えに、2人はかけがえのない愛の対象を失ったが、それでも、人生は続いていくのだ。
他者との約束(信じること=信仰)は、不動のテキサスの大地のように、それを交わした人の意図や意識、死をも超えて生き延び、新たな応答のなかで、常にチャンスを待ち続ける。
ラストシーン、彼らの明るい表情に未来が開かれていくのを感じた。
(★5つで満点)