アリスのままで

2014年 アメリカ リチャード・グラッツアー&ウォッシュ・ウェストモアランド監督

主人公である50歳の言語学者アリスは、若年性アルツハイマー患者だ。
この病気は、早期で知性的な人ほど進行が速いという。


他方、75歳以上の認知症患者は3.5人に1人の割合。そのほとんどがアルツハイマーである。
他人事ではない。


言語の研究を生業としている人が、徐々に言語を失い、ついには人間の尊厳も無くしてしまう・・・。
その哀しみの過程を忠実かつ克明に描いている。
奈落の底に堕ちていく、ジュリアン・ムーアの極めてリアルな演技の迫力。
納得のアカデミー賞主演女優賞受賞である。


アリスは、人格の喪失=死、と捉え、それを受け入れつつ、日々格闘している。
彼女は本来的な生き方をしている、と言えよう。
なぜか?


人間は時間性(現在・過去・未来)の存在である。
私たちは、誰にも到来する(未来の)「死」を目指して、その都度(過去)をリニューアルしながら、(現在)を生きている。
  「死」を自覚しない限り、人間は本来的な生き方ができないのに、多くの人が無知や恐れ、怠惰、享楽、逃避といったさまざまな要因により、「死」について考えることから遠ざかっているのが実情だ。


  しかし、アリスは、「死」と向き合い、自分自身と他者(事物も含めた)との真剣な出会いの中で、一瞬一瞬、渾身の情熱を込めて生きている。
だから本来的な生き方なのだ。


 彼女は言葉や記憶を失うまいと、携帯電話に生年月日など自分への質問事項を入力し、定期的に応答して、現存能力を確認する。
 さらに、パソコンに保存してある「蝶」のファイルをクリックすると、自決を指示するヴィデオレターが出て来るように準備する。
 なぜ「蝶」なのか?


 彼女は母の形見の青い蝶のネックレスを愛用している。
 近い将来、自分が自分でなくなった時でも、大好きな蝶なら忘れないだろうと考えたのだ。


 「蝶」は、死者の魂のメタファー。儚い命の象徴でもある。
  青色の意味は平和と安らぎ。聖母マリアの青い衣は母の慈愛を表す。
 青い蝶は、彼女の最期の願いである、魂の安らぎを得るための記号なのだ。


 彼女は、テクノロジーを最大限に活用する一方で、「アルツハイマー介護会議」で体験をスピーチする際には詩を引用する。
 さらに、演劇を志す次女が、母のもとに持参する戯曲の数々。


 ラストで次女は、「死者たちの魂が、環境汚染で崩壊寸前となった地球を救う・・・」、といった幻想的なセリフを読んで聞かせる。
 それに呼応して、今や言葉をほとんど失ってしまったアリスは、ただ一言「LOVE」とつぶやく。


 これほど優しく美しい言葉が他にあるだろうか?
究極の一行詩・・・。


 理性(技術)と対極にある詩(芸術)は、真理を明らかにする、という一点で繋がっている。
  前者は、魂の叫びである後者に支えられて顕現される。
 テクノロジーを駆使した理性的なアリスは、詩作することによって、神に近づくことが出来たのだ。


 共同監督の1人、リチャード・グラッツアーは、難病で苦しみながら本作を完成させ、アカデミー賞授賞式の直後に亡くなった。
 彼の思いと闘病体験に裏打ちされたであろう本作は、「死」と「詩」がキーワードであり、「LOVE」がテーマである。


 佳作だが、少々弱点もある。
 アリスの視点とカメラが同化し、記憶が失われるにつれて画面もぼやけてくる。
彼女に同化せよとのメッセージかも知れないが、違和感が残る。


 彼女を取り巻く人々も善人ばかり。
 確執や葛藤が淡泊なので、物足りない。
 ジュリアン・ムーアの演技が光るだけに、もっと奥行きのある演出が欲しかった。
★★★★