ツォツィ

表面的には、父によって母と引き裂かれたトラウマを、マリア様のような女性ミリアムによって癒され回復する、主人公ツォツィの様子を描いているが、その陰には、先進国によって侵略された南アの哀しみが滲み出ている。

goo映画: 映画と旅行を愛する人々に向けた情報サイト。「個性的すぎる映画館」、国内外のロケ地めぐりルポ、海外映画祭と観光情報、映画をテーマにしたお店紹介など、旅行に出たくなるオリジナルコンテンツを配信中。

 家父長的な父=ツォツイの暴力&赤ちゃんの略奪=先進国の侵略。
 父の暴力と先進国によるエイズ犠牲者の優しい母、乳をくれた黒人女性ミリアム&赤ちゃんの両親=先住民族の「赦し」
というメタファーの構図が浮かび上がる。


 いずれにしても、先住民族の「赦し」があるからこそ、我々先進国は存在できるのである。


 ツォツイが赤ちゃんを連れ去ろうとしたのは、彼自身が精神的に置き去りにされた記憶があるからだ。
 彼は父にエイズ患者の母と引き離され、可愛がっていた犬を殺され、生きる希望を失った。もうそんな悲しい思いをさせたくない、と赤ちゃんに自分を重ね合わせたのである。


 暴力的な日常から、赤ちゃんを通して、良心に目覚めたのだ。
 赤ちゃんは天使である。赤ちゃんの純真な笑顔を見ると、誰もが微笑みたくなるのは、全ての人に幼な心が備わっているからだ。
 赤ちゃんを手にしたとき、彼はゼロの状態(人間の原点)に戻った。
 そして、一から出直そうとする。


 彼は侵略者でもあり、犠牲者でもある。
 だから揺れ動くのだ。
 限りなく暴力的であるかと思えば、やさしい慈父のような行動もする。
 つまり、善悪の二面性を抱えたごく普通の人間なのだ。

 
 後半は、彼の人間性を回復していく過程が描かれる。
 彼は赤ん坊に乳を貰うためにミリアムを銃で脅かすが、シングルマザーの彼女は、それをゆったりと受け止める。

 人は赦されることで立ち直ることができるのである。


 極めつけはラストの赦し・・・。


 先住民族を搾取し続けている先進国は、彼らに赦されていることを悟ろうとはしないから、アフリカの悲劇はなかなか幕が降りない。
 アフリカ人の監督が訴えるのは、そういうことなのだろう。


 残酷さと美しさとが混在する力強い映像は、まさしくアフリカの現実だ。
 ツォツィの眼力がいつまでも目に焼きついている。
(★5つで満点)