最近、鑑賞本数がぐっと減っている。昨年は数年前の3分の1ほど。観たい作品がないのと家族の病気がその理由だ。日頃は専らスカパーで、マイナー系や名画を楽しんでいる。


・日本映画 
 1000年の山古志
 デイア・ドクター
 空気人形
 ご縁玉
 その木戸を通って
 愛のむき出し
 ヴィヨンの妻
 誰も守ってくれない
 ノン子36歳 家事手伝い
 行旅死亡人


・外国映画
ポー川のひかり
 母なる証明
 グラントリノ
 あの日欲望の大地で
 ロルナの祈り
 人生に乾杯
 アンナと過ごした4日間
 愛を読む人
 戦場でワルツを
 ミルク   


 『1000年の山古志』は、 完成度の高い骨太な作品だ。大地震を乗り越え、故郷に戻るため再生に力を注ぐ村人を撮った、ドキュメンタリー映画の傑作。
  主な登場人物を、村独自の産業に携わる5組の家族に絞ったのがいい。彼らは壊滅的な打撃を受けた産業を復興させるだけではなく、新たな人生の創造をめざして果敢に挑戦する。
  なぜ山古志の暮らしは快適で、村人は魅力的なのか?本作はその答えを活写し、都会に住む我々の生き方にも示唆を与えてくれる。


『デイアドクター』は、何がホンモノで何がニセモノか分からないあいまいさが肝だ。登場人物は全員、他者との関係において疑問を抱きながらも時には真情を吐露する、ということを繰り返し、互いに影響しあいつつ生きている。
 ただ一つの道筋なんてないのだ。ある時は真で、ある時は偽。ある時は自己中心で、ある時は他者を思いやる。ある時は権力を、ある時は自由を求める・・・。 人は、はり巡らされた蜘蛛の巣のような迷路を絶えず寸断・反復し、変容しながら存在するのである。


 『ポー川のひかり』は、神々しいまでの大自然と、その土地に生きる人々の営みをドキュメンタリータッチで描き、過剰な知識に毒された現代人に強烈なメッセージを発している。
 古文書を磔刑にして生まれ変わった教授は、人間臭い”キリスト”として村人の仲間になり、彼等から「心に浮かぶ言葉」を引き出して立ち去る。本当に正しい言葉は、暗い書庫に眠る権威の中ではなく、光にあふれた場所や庶民とともにあることを確信したのだ。  聖書からの引用やメタファーづくしの美しい映像。これぞ映画だ、という歓びがいつまでもまつわりつく珠玉のような作品である。


 『母なる証明』は、毎年、韓国の映画作家作品をベスト10に選んでいる私にとって、欠かせない秀作。
 冒頭の母の踊り、それに続く薬草を切断する包丁の大写し、じわじわと広がる尿や血などの液体、廃屋や小路の奥にうごめく何か・・・。暗い画面に引き込まれ、先が読めない展開にゾクゾクする。
 すべてがベールに包まれたまま、息子への母性愛と独占欲が母の身体に収斂していく。一方、息子にとって母は”聖なる存在”である。彼女は、”身体の温もり”と”依存からの脱却”という、子どもからの相反する2つの要請の交差点に位置している。
 狂気と聖性を併せ持つおぞましい母、その母からの分離を余儀なくされる息子。人間関係の根源でもある母と子の関わりを、冒頭の異様な舞踊と刃物で暗示し、極めて上質なサスペンスに仕立てた。(初出『シネマジャーナル78号』)