かもめ食堂

 道路に面した食堂の大きなガラス窓と合気道・・・。
 この映画のエッセンスはそこに詰まっている。


 滅多にないのだが、至福の映画がある。できることならいつまでも観ていたい・・・。
 本作は、そんな気分にさせてくれる貴重な逸品だ。

http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=323638

 このところ、女性ならではの視点で撮った若手監督の作品が注目を浴びている。この映画もその一つ。荻上直子(「バーバー吉野」「恋は五・七・五!」)の第3作だ。フィンランドの首都ヘルシンキへ来て、たった一人でおふくろの味の和食堂を営む、30代の日本人女性サチエをめぐる人間模様を描いたハートフルコメディ。


 食文化の違う国で開店したものの、なかなか客が来ないかもめ食堂。興味本位で、透明ガラスの窓越しに中をのぞき込む人は多いのに・・・。
 1ヵ月後にやっと現れた第1号の客は、日本オタクの現地人青年。彼に感謝し、コーヒーを無料で出し続けるサチエ。実は彼も、毎日のぞくだけで、なかなか入ってこなかったのだった。


 このガラス窓は、日本とフィンランドとを隔てる異文化の壁であり、人と人との壁でもある。中からも外からも手が届きそうなほど近く見えるのに、ガラスが遮り、握手をすることも話すこともできないのだ。


 日本人女性旅行者のミドリとマサコが、ひょんなことから食堂を手伝うようになる。しかし、サチエを含めて、三人ともなぜヘルシンキに来ることになったのか、お互いに詳しい事情は語らないし、しつこく聞くようなこともしない。まさに透明ガラスの壁のような、近いけれど遠い関係である。


 本作のテーマは、”透明なバリアーをいかに乗り越えるか”である。


 フィンランドは、四季がはっきりしていて、地味かつ親切な人が多いところが日本と似ているという。
 しかし、人々は、お互いの国のことをどれだけ知っているのだろうか?
 かもめ食堂は、この国の素朴な自然木を用いたインテリアを配し、食器もフィンランド製と日本製をバランス良く利用している。彼女なりにこの国の文化を取り入れているのだが、日本のことを知らない人々は、背の低いサチエを見て、子供かも?とうわさするだけで近寄ってはこない。


 サチエの経営ポリシーは明確だ。
 ”人間に残された最後の楽しみは食事。素朴だけど美味しいものは世界共通だから、和風家庭料理の良さをきっと分かってくれるだろう。この土地の人は名産のサーモンが大好き。それを使った、日本人のソウルフードであるおにぎりをはじめ、刺身、焼き鮭などを作ればいい。ここなら自分でもできる”


 「通りがかった人が、ふらっと立ち寄ってくれるような食堂にしたい。一生懸命にやっていれば、お客はいつかは来てくれるはず。それでもダメなら、やめればいい」と動じないサチエ。
 集客を焦るミドリの提案、メディアへの掲載を「やりたくないことはやらないだけです」と拒否する。


 そういう面だけを見ると、サチエは頑固者のようだが、そうでもないのだ。再度ミドリが提案した、地元の食材トナカイの肉などを用いたおにぎりは試してみるし、和食ではないシナモンロールをメニューに加えたりして、柔軟性も十分持ち合わせている。


 サチエは早くに母を亡くし、男手一つで育ててくれた武道家の父も最近逝った。鮭・梅・おかかのおにぎりは父の得意料理だったから、こだわりの中心メニューにしているのだ。


 今のサチエを支えているのは、母の胎内を再現するプールでの水泳と、父に習った合気道
 仕事の合間にプールに行くと、人間の原点に立ち返ったような気がする。
 毎晩、一人で合気道の稽古をするが、武道は彼女の人生観を形成してきた大きな要素だ。


 なぜか?


 合気道で相手の「 気配」に合わせて動くには、力みがまったくないバランスのとれた姿勢で向かわなければならない。歴史上の達人たちが言った「水月移写」である。つまり、鏡の中の自分の姿を確認する作業と同じ。ここでは、自分が鏡の境地になっているかどうかがポイントになる。日本の伝統武術に伝わる「拍子」とか「間」にも通じる極意だ
サチエがいつも自然体でかつブレないのは、永年の合気道による鍛錬の賜物である。


 異文化との壁も、人との壁も、力まず相手の心の動きに合わせて、絶妙の「間」でバランスをとり、乗り越えていくサチエ。
 ゆったりのんびりロハスな生活を楽しむフィンランドの人々と、呼吸を合わせるのも時間の問題だった。
 わら人形(おまじない)や合気道などの日本文化が思わぬところで役に立つ。


 「おにぎりは人に作ってもらうのがいちばん」と言っていた父。
 「コーヒーは人にいれてもらう方が美味しい」と言う、元コーヒー店主の現地人男性。
 彼からコーヒーの入れ方の極意(おまじない)を教えてもらい、成功するサチエは、合気道の極意を伝授してくれた父と、彼とを重ねていたのだろう。


 サチエは言う。
「人にはそれぞれに本人しか分からないことがある」
 「あなたにはあなたの人生がある」
 「人はずっと同じではいられない。みんな変わっていくもの」と・・・。


 ミドリもマサコも、サチエの人生観に影響されていく。
 泣きみそのミドリは、自分だけが寂しいのではないと悟る。
 マサコは、言葉の壁を取り払って、体当たりで現地の人とコミュニケーション。


 幸せいっぱいのラストは、第1号の客の青年を絶妙のタイミングで迎える、サチエの「○らっ○ゃい○せ」。
 ミドリの挨拶は少し乱暴で、マサコのそれは丁寧すぎるのだ。


 美味しそうなご馳走の数々、インテリア、食器、ピカピカの器具・・・。
 センスが感じられるさりげないファッション。
 港町。森・・・。 
 ヴィジュアルとしても楽しめる美しい影像と、すてきな音楽・・・。
 そして、何よりも自立した女性の生き方が心に響く。
(★5つで満点)