つぐない

冒頭のミニチュアの動物たちは「ノアの箱船」を想起させ、ダンケルクの海岸のシーンでは「聖書にそっくり」とのセリフが飛び出す。



 原題は「贖罪」。キリスト教用語で、教義の中心となる。その意味は、何らかの方法により罪や過ちの埋め合わせをすること。加えて、買い戻す、解放する、自由にするなどの意もある。そうすることによって私たちは、罪を贖われるだけでなく、法からも解放され、自由人になれるという。


 旧約聖書では、「イスラエルの民は、一年のうちで最も重要な祝日である”贖罪の日”に、1頭の雄牛と二頭の山羊を殺し、その血を七度、契約の箱の贖いのふたの上と前に注いだ。それによって神の怒りを鎮め、神と和解することができた」と記されている。
 新約聖書では、神はひとり子のキリストを、神の怒りをなだめ、神との和解をもたらす「なだめの供物」として差し出された、と書かれている。


 本作では、新訳聖書で述べられている、「最後の晩餐の席上での、ユダの裏切り及び他の11人の使徒の逃散の予告」が再現される。
 ヒロインのブライオニーがユダ、姉セシリアの恋人ロビーがキリスト、姉がマグダラのマリア、兄とその友人マーシャル、従姉妹のローラ、父母などが使徒だ。


 本作のテーマは、「メタフィクション」である。メタフィクションとは、それが作り話であることを意図的に読者に気付かせることだ。そうすることで、虚構と現実の関係について人々に考えさせるが、皮肉にも「自己言及のパラドックス」に陥ることになる。

 少女時代に作り話をして、セシリアとロビーを裏切り、悲劇へと陥れたヒロインのブライオニー。長じて作家となるが、人生の最期に、贖罪して心の自由と解放を勝ち取るためと称し、再び作り話をして、悲劇をハッピーエンドの小説に仕立てる。
 しかし、それは死人を二度裏切ることになる。贖罪をしたことにはならない。
 彼女は、「自己言及のパラドックス」の宿命から免れることは出来ないのだ。
 

 ブライオニーはイマジネーションが豊かだ。それゆえに、自分の中で現実と虚構が混在し、姉に対する嫉妬のセーブがきかなくなって、恋人たちを奈落に突き落としてしまう。
 彼女は 贖罪のためにナースになり、西欧では忌み数となる「13番」(ユダは、最後の晩餐で13番目の席についていたとされる)のベッドの傷痍軍人に作り話をすることで彼を癒す。
 しかし、それは彼女が再びユダ的行為をするだろうとの予告である。彼女は作家志望だから、書くことでしか償うことはできないのだ。


 彼女は、処女作として書き続けていたその物語を、死期が近づくまで未完のままにしていた。「韻も装飾も無しで、真実を書いて告白する」のが、本当の意味での「つぐない」であることを知ってはいたが、真実といえども主観が入るので、正しく伝えることはできないことも分かっていた。


 この期に及んでブライオニーは、姉たちを不幸にした時と同じように自分の願望通り、虚構は虚構として完成させよう、今回はハッピーエンドで祝福してあげよう、と決心する。


 彼女の贖罪とは、物語をこのような形で世に出すことではない。未完の処女作を長年抱え続けていた、苦悶のプロセスそのものである。
 タイプライターをたたく不気味なオフ音が通底し、彼女の視点と他者の視点、時間軸が錯綜、それらが自己矛盾に陥っていた彼女の苦悩を表している。
 さらに、鏡の多用は虚構やアイデンティティを失った自己を、窓枠やドアの多用は視野の狭さを、靴の多用はエロスへの願望を表す・・・。 


ブライオニーのロビーへの恋の原点は、溺れかかった彼女を飛び込んで助けてくれたことだった。
 後日、セシリアはロビーの見ている前で大切な花瓶を落とし、修復できないかけらを探すため噴水の中に飛び込む。このことがセシリアとロビーの恋のきっかけとなるが、この反復はラストに至る重要な伏線となっている。


 物語性を崩壊させる入れ子構造がさまざまな読解を可能にする上質の作品である。
(★5つで満点)