帰らない日々

 10才の息子をひき逃げした犯人を裁くために、事故の調査を依頼した大学教授イーサン。それを受けて立つ弁護士ドワイト。彼こそ、何とひき逃げ犯人その人だった・・・。
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD12676/index.html


 ありえないような設定であるがゆえに、この物語は成立するが、人の営みの根底にある「良心」とは何か、を考えさせる佳作である。


 小さな町での事件。当然、人間関係も互いに入り組んでいる。
 加害者と被害者、この2組の家族には、それぞれに息子がいた。ドワイトは、別れた妻と息子ルーカスを共有し、イーサンは息子ジョシュを失った。
何も知らないドワイトの前妻は、イーサンの息子と娘の音楽教師で、同情して追悼音楽会を開催する。もちろん息子同士は友だちだ。


 ドワイトは、唯一の家族であり、生きがいでもある息子を失いたくないばかりに、ひき逃げ犯人であることを名乗らない。調査ものらりくらり・・・。
事故車を隠し、レンタカーに乗るドワイト。ルーカスは父の車に乗っていてケガをした日に、ジョシュが交通事故で死んだことを覚えており、口にもしている。
イーサンとその妻は、遅遅として進まないドワイトの態度に苛立ち、狂わんばかりだ。


 前述のように小さな町のこと。いくら担当弁護士といえども、警察が目撃された車種などから車の行方を本気で調べれば発覚する事件だ。それをサスペンス仕立てにするのは無理がある。観客はいつばれるか気になるが、長々と引っ張るので飽きてしまう。




*以下( )内ネタバレ




 (そのうえ、イーサン自身の記憶だけで犯人を突き止めるのも不自然だ。交流のあるドワイトの前妻や息子に、探りを入れるわけでもない。いきなりドワイトを訪ね、犯人扱いして銃を突きつけるのは無謀である。

 ひき逃げは殺人であり、犯人をぬくぬくとのさばらせてはいけない。犯人を自分で見つけ出して裁けば、痛みも柔らぐだろう、というイーサンの復讐心は悲しいほどほど分る。
 一方、罪の意識から死んだも同然の毎日で、警察に逮捕されることを望みつつも、自首する勇気がないドワイトの姿も、現実の一つとしてあり得るだろう。

 加害者も被害者も、一筋縄ではいかない。刑務所で罪を購えば一丁上がりなのか。復讐したら痛みが柔らぐのか。
 どちらにしても死者は戻ってこないので、加害者の罪意識はいつまでも消えず、被害者も後味の悪さに悩まされるだろう。つまり二人ともパラドックスに陥るのである。

 本作の真骨頂はここにある。
 人は元来、「良心=赦しの心」を持っている。究極の場面(パラドックス)に遭遇した時、深い淵の底で「良心=赦しの心」に目覚めることができれば、人生は変えられるのだ。
 被害者は加害者を「赦す」ことで精神的に救われ、加害者は被害者に 「赦される」ことで肉体的に救われる。そして共に、人間的に大きく成長するのである)




 2組の父と息子の物語であり、女性の出番はそれほど多くない。しかし、事件の原因の一つがドワイトの前妻の態度であり、イーサンの復讐心も彼の妻の嘆きによって増幅される。イーサンの娘も彼に希望を与える大きな存在だ。
 ドワイトの息子は、イーサンの娘と同様ドワイトの光である。
 ラストシーンに救われた。
(★5つで満点)