『悲情城市』&ホウ・シャオシェン監督を囲む座談会

愛知県芸術文化センターにて開催。
 99年に在日台湾人の友人の里帰りについて行った台湾北部。本作は未見だったが、ロケ地の基隆と九分を案内してもらった。 帰国後、すぐにビデオで鑑賞。画面が小さいため、海や山、レトロな美しい景色を堪能できなかった。


 今回は大画面でじっくりと観たため、改めて風景の素晴らしさを満喫。暴力シーンが多いが、静謐なシーンと対比させることで、あの時代の不穏な空気を感じ取ることができた。
林家の4人の息子の生きざまは、台湾の終戦直後史そのものだ。長男=虐殺、二男=行方不明、三男=発狂・・・。なかでも トニー・レオンが演じる聾唖者の四男は、抑圧された台湾の人々(内省人)の、物言えぬ苦しみと抵抗を代弁していて見応えがあった。


座談会では、ホウ監督は少年のように可愛らしく、時々はにかんだり、変な日本語を挟んだりしてお茶目ぶり満開。
 彼の映画づくりに対するポリシ−は、撮影に入る前に、対象(人間や場所など)を徹底的に観察し見つめ抜くこと。「自分を無の状態にして向き合うと、本質の瞬間が飛び出てくるのを感じることができる」という。残りの部分は、現場で同様にして切り取るそうだ。


作品で歴史を扱うことが多いのは、読書の影響によるもの。「いつか台湾の歴史を人間としての眼差しから撮りたいと思っていた。87年に長年の戒厳令が解かれ、歴史ものを外国に出すことが可能になったので挑戦した。表面(人々や物の存在感)に隠れている深みを探り出し、映像に閉じ込めようと努めて来た」と語る。


ホウ監督の作品に食事の場面が多いのは、台湾の映画環境は恵まれていないので、勢い素人を起用することになる。食事をするのに演技は要らないから、ひたすら食べてもらう、という。
 「歴史とは人が生きること。どんなに歴史が変わろうとも、人は生きるために食事をする。食事は人が生きていること=存在感を表す。「今」という視点から観ると、歴史は永遠に現代史である」とも。


脚本家の朱天文さんは、1983年以来の仕事のパートナー。構想を練る段階から監督とやり取りを続け、脚本が完成しても、監督と俳優には脚本を渡さないという。すっかり監督の頭の中に入っているので必要なし、というわけだ。
 「俳優にはその場その場のアドリブを大切にして、納得のいくまで演じてもらうので、費用も膨大になる」と苦笑する。


彼女との 阿吽の呼吸で、次々と傑作が生み出されるのだ。次作は唐の時代を描く。時代考証に3年もかけたが、まだまだらしい。彼は全てにおいて確認できないと、撮影にかかれないのだ。
 「リハーサルはしない。ひたすら本番を続けるのみ。だから、いつまでたっても貧乏なんです」と爽やかに笑い飛ばす。そんな監督にエールを送りたくなった。
 

イベントの後は、お待ちかねの本格中華グルメ。映画仲間と中国語繋がりの面々9人で、中華圏人御用達の「麗晶」へ繰り出す。私は2度目だが、広東料理台湾料理、いずれも非常に美味。
豚の耳、砂肝、高野豆腐、青菜、スズキのあんかけ、マーボーなす、鶏のバリバリ焼、ホルモン揚げ、鶏とナッツ炒め、チャーハン、揚げパン・・・。どれを食べても本場の味。 2人で紹興酒1本空けてしまった。


 食事中はいつものように映画話で盛り上がる。まだ物足りず、マックでお茶して家に着いたら、日付が変わっていた。
大満足の1日。誘ってくれたIさん、つきあってくれた皆さん、謝謝!