キングダム・オブ・ヘブン

(ネタバレ注意!!)
 映画化は難しいといわれている十字軍を舞台にした一大スペクタクルだが、愛や平和について問題提起する人間ドラマとしても見応えがある。


 十字軍は1095年、キリスト教ヨーロッパに於いて、法王ウルバン2世の要請により結成された。キリスト教徒およびキリストの予言者であるマホメットの教えを守るイスラム教徒の聖地エルサレムを、アラブ人から奪還するのが目的で、約200 年間、第八次遠征まで攻防が続いた。


 ところが現実は、経済の発展により、より自由で豊かな暮らしをを求めた人々が、領土の拡大を目論み、十字軍の名を借りて東方へと攻め続け、彼らより文明的にも優れていたアラブ人の知的・物的財産を奪ったのである。


 十字軍を描いた映画が少ないのは、十字軍の持つこの二面性により、評価が分かれるからである。彼らはエルサレムの奪還を名目にして、異教徒の殺戮と財宝の略奪を繰り返しただけでなく、同じキリスト教徒に対する裏切り行為も平気だった。
 先般亡くなったローマ法王ヨハネ・パウロ・Ⅱ世がその非を認めたため、本作ではその辺のバランスが絶妙に配慮されている。


 「キングダム・オブ・ヘブン」のキングダムとは王国のこと。この場合は世俗的な地上の人間=フランス皇帝を指す。また、ヘブンとは天にいる神=その代表者である法王を指す。
 中世は皇帝と法王との対立の時代であるが、「キングダム・オブ・ヘブン(天国の王国)」は、世俗とか宗教を超えて、人間的な幸せを希求する共存の場所=理想郷=エルサレム王国ということになる。


 物語の舞台は第二次〜第三次十字軍の時代。登場人物は、多少の脚色はあるがすべて実在である。オペラ研究家の都築正道氏は、「バリアンは”バーバリアン”、つまり野蛮人(アウトロー)である。本作では、”人間主義”のルネッサンス人として造形されている中世の異端児・バリアンを通して、人間のあるべき姿が描かれている」と話す。


 同氏曰く、「もうひとつ、本作では、”天国と地上を結んだのはキリストである”ことを強調している。車大工の息子キリストと鍛冶屋の息子バリアン。即ちバリアンはキリストのように天から地上に遣わされた神の子である」とも。
 映画の中でも、サラセン軍を率いるサラディンは、バリアンと和平を結ぶ際、「お前は神に愛されたからこれだけのことができたのだ」と言う。


 それ故、イスラム教徒との戦いも、父ゴッドフリーから受け継いだ真の騎士道精神が発揮された、正義と正義との戦いになっている。戦闘シーンでは今までの常識を破り、静かな祈りの音楽が流れ、俯瞰(神の視座)構図が多用されている。


 ところで私は、本作のテーマは”父と息子”であると見た。父ゴッドフリーのゴッドは神。だから息子バリアンは神の子、つまりキリストである。
 「エルサレムに行くと罪をあがなえますか」と尋ねる息子に、父は「手を見せろ」と言う。バリアンは、妻のロザリオを司祭から取り上げたとき、十字型のキズ(痕跡)を手に残していた。神である父はそのことを見通していたのだ。そして言う。「真の許しはエルサレムだけにある。これは神の意図された旅だ。行け、エルサレムへ・・・」と。


 バリアンは、優れた人格者である父から、騎士道精神、武術、「天国の王国」建設の理想とともに、父の名「イベリン卿」を受け継ぐ。
 その背景には、母や妻子の喪失、殺人を犯した罪などの大きな犠牲があり、前述のように贖罪して悲しみを乗り越えたいという願いがある。父の意思を受け継ぐ旅は、神の許しを求める旅でもあった。
 エルサレムに着いた彼は、父から譲られた剣を十字に組んで背負い、トボトボと坂を登っていく。キリストが磔刑にされたといわれるゴルゴダの丘へ。亡き妻のロザリオを埋めるために・・・。 


 バリアンが神の子として一人前の大人になる(言葉を獲得する)ためには、母性的なものの排除(犠牲)が必須だった。そうして初めて父の名を受け入れることができるのだ。「父(神と)と子(キリスト)と精霊の御名において・・・」母の名はない。


 本作では、女性は前面に出てこないが、シビラ王女が「東洋では、人と人を隔てるのは光だけ」と言ってローソクの光を消し、バリアンと結ばれる印象的なシーンがある。人は目に見える部分だけで損得を考え、差別や区別をするが、闇の中では皆平等、直感だけを信じて行動する、ということか?


 父への同一化と父の法への忠誠が特権化された、男性中心社会の映画だが、最後に、”和平によって双方が勝つ”という女性の論理が明示されるので、均衡がとれている といえよう。

 残念なことに800年後の今も、世界の至る所で(宗教)戦争は続いている。この映画には、宗教戦争はもちろん内戦、テロ、民族差別、飢餓といった現代社会が抱えている深刻な問題が凝縮されているので、できるだけ多くの人に観て考えてもらいたいと思う。


 蛇足だが、映像、音楽、時代考証に基づくセット・衣装・小道具・・・そのすべてへのこだわりぶりに圧倒された。(参考/5月13日付朝日新聞


キングダム・オブ・ヘブン ★★★★(★5つで満点)