ベルリン、僕らの革命

(ネタバレ注意!!)
 世界中の若者へのメッセージを込めた、辛口のラブ・サスペンス。手持ちカメラの揺れが、若者の不安感を的確に表現、破滅を予感させる映像だが、暗い感じはしない。


 「富裕層に恐怖を味わわせること」が資本主義社会へのレジスタンスである、と信じて、夜ごと豪邸に不法侵入。部屋をめちゃくちゃに模様替えして、「贅沢は終わりだ。教育者より」と書いた張り紙を残すヤンとピーターの2人組。そこにピーターの恋人・ユールが、ひょんなことから加担することになる。

 ”純粋で素直な(革命)映画 ”ということで、ドイツで大ヒットしたらしいが、主人公たちの行為は大変幼稚だ。昨今の中国のデモのように、体制に対する不満のはけ口を金持ち(日本)にぶつけただけでは?


 彼らは「自分たちは物盗りではない」と義賊風を気取っているが、警報機をはじめ、
ワイン瓶やソファーなどを破壊する。
 損害保険が切れているのに自動車を運転して事故ったユールが、賠償金の支払先である重役に復讐するのもお門違いだ。そのうえ、彼女は自分のミスで仕事を失い、腹いせに金持ちの自動車にひっかき傷をつける。
さらに 、彼らが、資本家による途上国への搾取について言及するのはいいが、まずは自分たちの足元を見つめ、地道に働くことが先決ではないか・・・。


 若者が無気力になった、と言われるようになって久しい。貧富の差が広がり、失業者が増えているのは、わが国だけでなく世界的な現象だ。この映画の舞台・ベルリンでも然り。
 しかし、このような 状況を作り出してきた体制を批判し変革しようとするならば、こうした他人の持ち物を壊す非合法的な手法は肯定できない。 かえって相手を身構えさせてしまうだけだ。


 ではどうすればよいのか?
 常識的だが、合法的に戦うしかないのでは?
 昨年、日本のプロ野球の改革を導いた古田選手のように ・・・。
今年、メディアの革新をめざしたホリエモンのように・・・。


 ヤンは言う。「わざと恐ろしい状況に身を置くと、自分の限界を超えて何でもやれるような気になる」と。
 既成の秩序を打破するためには、恐ろしい思いをすることも多いと思う。古田選手も、ホリエモンもきっとそうだったのだろう。
 ヤンが自分を追い込むためには、強盗のまねをしなくても、他に方法があったのでは?


 本作には、前述した”革命”の発想をはじめ、脚本としては粗削りな部分が多々ある。
 しかし、3人の男女が重役の誘拐へと追い込まれる辺りからサスペンス調となり 、思わせぶりなシーンの多用(重役が逃走したのかと思わせるシーン、ピーターの殺意を匂わせる「俺は冷酷かも」というセリフや薪割りの斧を降ろすシーンなど・・・)とあいまって、先が読めそうで読めない展開に引き込まれた。

 誘拐された重役は、もと学生運動の闘士で、誘拐犯たちと次第に心を通わせていく(ように見える)が、あまりにも素直な展開に疑問が湧いてくる。重役が嘘つきであることは、誘拐された当初、「警察には言わない」と言ったその舌の根が乾かないうちに通報したことや、年収のケタ違いなごまかし、ピーターにヤンとユールの関係をチクるなどの行動で明快なはず。


 さて、ラストをどう解釈するか?
 私は、重役はやっぱりしたたかな嘘つきだった、と思う。一度権力の座を得た者は、そうやすやすと考え方を変える訳がない。体制は変わらないのである。
 重役が帰宅後に、警察に通報したからには、たとえ住んでいたアパートにユールが不在だったとしても、捜査の追及は可能である。あの山荘での平和な対話はメルヘンだったのだ。
 それを見越して、3人が、空っぽのアパートに、「お前たちはきっと一生変わらない」との張り紙を残したのだとしたら、彼らの方がよっぽど筋金入りのしたたかな奴らだったといえよう。



 今回の事件を契機として友情の危機を乗り越えた彼らは、さらなる深い繋がりへと導かれることになる。重役の世界観は変わらなかったけれど、彼らのそれは確実に変化した。”身近な他者との関係を開く”ことで、「僕らの革命」は結実したのだ。


・ベルリン、僕らの革命★★★★(★5つで満点)