ビヨンド・The・シー

 「素晴らしい音楽、小気味のよいテンポ、目まぐるしく交差する時制・・・。観ている間はそういった要素に惑わされて、ボビー・ダーリンの人物像が掴みにくかった。しかし、生まれながらに両面価値的な分裂を抱えて生きる彼を、子供時代の彼(分身)と対話させて表現する演出は、観客の思考を中断させるという意味で面白い試みだ。


 子供の心は純粋な入れ物。「嘘をつくな」「計画を立てて生きよ」と言う母の言葉をしっかりと受け止め、彼女の期待する人物像に近づこうと懸命に努力するボビー。その一方で、嘘をつく母の醜さも見てしまう。そうしたプレッシャーから逃れて、自分の世界を築こうとする彼。


 母との融合の至福と、大人になるためには母を棄却しなければならない苦悩。それはすべての人間に課せられた命題だが、ボビーはどちらが本当の自分なのかわからなくなり、「演じるのが僕の人生さ」とほざく。子供時代のボビーがドアの隙間(裂け目)から大人の彼を見ているシーンと、大人のボビーが鏡を見るシーンが多用されるが、それぞれ分裂と虚像を意味している。


 こうした彼の葛藤を象徴するのが「かつら」。オスカー候補になりながら、それを逃したことから、女優の妻とけんかする。彼にとっては舞台こそ本物で、映画は贋物なのだと・・。妻から「ハゲ親父」と応酬されると、車を壊したりして大暴れ。自己矛盾を生きることが人間に与えられた試練であることに、彼はまだ気付いていない。


 失意のどん底に陥った彼は、自分自身のある秘密を知り、ますます分裂状態に・・・。今までの自分はすべて偽物だったのか、と苦しむ。
 それなら「かつら」無しで、素顔の自分をさらけ出し、好きな反戦歌を歌えば満足するのかというと、客にはまったく受けず挫折する。結局、「人は見た目で聴くの」という妻のアドバイスに従い、自分探しの最後の旅を華やかなショーの舞台に求める。かつらを着けて客の求めるスタンダード・ジャズを歌い、踊ることこそ、本当に彼がやりたかったこと=「演じるのが僕の人生」なのだ、と納得する。


 「思い出は月光のようなもの、自由にやっていい」というボビーの思想が反復されるが、「子供の心を持った純粋な自分と、演じている今の自分との間に、本物と贋物の区別などはない。過去にこだわって生きるのではなく、過去と現在を融合させて自由に生きよう」という解釈もできる。


 そして時計・・・。子供時代に遅れている時計を直そうとした彼が、「時間切れって何?」と義兄に聞くと、「(時間なんてあってないようなもの)本気で信じれば、その通りになる」と答えるシーンがある。そして、最後の舞台の楽屋でメークするために時計を外すボビー。酸素吸入中のボビーと時計を持つ子供時代の彼。まさに、この世の「時間切れ」なのだが、時間は思い方一つで長くも短くもなる。ボビーのように、皆の心の中に永遠に生き続ける時間もあるのだ。(0503)


・ビヨンド・The・シー ★★★★★(★5つで満点)