フライ,ダディ,フライ

(ネタばれご注意!) 傷を負わせた権力者と傷をつけられた一市民との戦いの物語。本作のテーマは、「自己確認のプロセス」である。


 人は、自己を確認するとき、必ず他者を必要とする。自分は他者にとってどんな存在であるのか 、他者との差異化を必然的に行う。自分の存在を証明することは、自分のイメージが他者の場所で”傷跡”を刻みつけられ、帰ってくることなのだ。


主人公の鈴木は、娘の遥が権力者の息子である石原から受けた傷を、自分が負った傷と捉えている。 もう一人の主人公スンシンも、幼時に在日外国人を恨んでいる日本人の男に刺され、心と体に深い傷を負っている。偶然知り合った鈴木とスンシン。権力者に勝負を挑み、立場が入れ替わることでしか傷は癒されない、と二人の意見は一致する。


 そこで、対決の日を目指し、腕に覚えのあるスンシンが、鈴木にハードなトレーニングを指導することに・・・。
 物語は一気に ファンタジー へと飛躍する。


 傷を受けたことがきっかけで、知力と武力を鍛えて自己確認をしてきたスンシン。彼の経験を踏まえたアドバイスにより、鈴木もまた、傷を自己確認の契機にしていく・・・ 。


 弱い者はどうすれば強くなれるのか?
 スンシンは言う。「権力をすりぬけるには、想像力を羽ばたかせて、思い込みの中に閉じ込められていた自分を空間に解き放つこと。自分を信じて知恵と力をつけてボーダーを超えること」と・・・。
彼のパフォーマンス「鷹の舞い」と、自宅に掛けられている額「夢」の書には、彼のそんな思いが込められている。


さらにスンシンは言う。「いつも自分の気持ちだけを大切に」「自分を信じられなくなった時に、恐怖で動けなくなる。恐怖の先を見よ」「殴れば殴るほど、拳の間から大切なものがこぼれ落ちてしまう」「勇気を感じることができたら戦わなくても勝つ」と・・・。
 彼は、映画「燃えよ、ドラゴン」のブルース・リーが好きだ。仏の道と武術を学ぶリーは、武術で名を挙げるよりも無名のままの修道を望むが、要請されて悪と戦う。
 スンシンは武力で勝つことよりも、戦い方=精神力で勝つこと、が大切だと思っているのだ。弱い者は精神力を鍛錬することで強くなれる、勝てるようになると・・・。


 一方、鈴木は、トレーニング中と決戦直前に、映画「灰とダイヤモンド(ドイツ降服直後のポーランドでロンドン派の抵抗組織に属していた青年の物語)」から、墓銘の詩「君は知らぬ、燃え尽きた灰の底に、ダイヤモンドが潜むことを・・・」を引用し、自分に言い聞かせるようにつぶやく。 鈴木は未知なる自分の潜在能力を信じようとしているのだ。


強者である石原との対決は、知力を駆使した鈴木の勝利であっけなく終わる。 弱者だった鈴木は、同じ傷を持つスンシンとの共同作業により、石原と立場が逆転して強者になる。そして、鈴木とスンシンも位地が転倒し、擬似親子(父と息子)となる。
 スンシンは、「いつも自分の気持ちだけを大切に」と言い、”個”を強調する。彼と鈴木は一心同体。お互いに分身として補完しあう関係である。


 本作は、”アイデンティティは、他者と関わり傷をつけられて戻ってくることで形成される”という普遍的な主題を、ファンタジーとして描いている。鈴木の場合も殴りこみ先を間違え、スンシンに殴られたことが、アイデンティティ形成の2つ目の動機となっている。 
 傷をマイナス要因ではなく、プラス要因に転化するのはむろん想像力である。
フライ,ダディ,フライ★★★★(★5つで満点)