ピアニスト

 観終わった後、すぐには立ち上がれなかった。エリカと母親の壮絶な関係性が、あまりにもリアルで、痛ましくて・・・。衝撃的なラストシーン。エリカは自分の胸にナイフを突きたてて、抑圧の真因である自分の中の「母」を殺す。彼女が「真の私」を確立して生きるには、母親との同一化から抜け出すしかなかったのだ。


 父親を亡くしたピアノ教授のエリカと母親は、互いを同一化することで、長年蜜月の日々を過ごしてきた。だが、それではいつまでたってもエリカは大人になれない。彼女が母親を乗り越えるには、母の欲する「父」が必要なのだ。エリカを慕う年下の青年ワルターは、恰好の餌食だった。


 彼はアイスホッケーの選手。スティックは男根のメタファーだ。彼がフィギュアスケートをしていた女性たちをスティックで追いやったり、エリカが彼のペニスを口に含んだとき嘔吐したりするシーンは、彼が「強い父」をイメージしていることを表現している。


 エリカは呪縛からの解放のツールとして、セックスを活用するが、彼との関係性を、サドとマゾという相反する行為でバランスをとろうとする。どちらもアブノーマルだが、人間関係が下手な彼女は、心の中では「強い父」を求めながらも、現実では相手を苛んでしまうのだ。

しかし、私は思う。彼女の行為の何と人間らしいことよ。万引きなどに走るよりずっといいではないか。彼女がワルターとのセックスの最中に中断を繰り返し、彼を宙づり状態にするのも、決して不快ではない。私たちを映像に釘付けにさせながら、物語性を切断するこのシーンは快楽に満ちている。


 結局彼女は「強い父」を獲得することができず、より深い闇へと投げ出される。大人になるためには「母殺し」をしなければならないという、根源的な命題を与えられたのだ。
 人間には「知・情・意」のバランスが不可欠といわれる。母親のスパルタ教育により、いちばん大切な「情」に欠けていたエリカだが、自分の中の「母」を殺すという深淵を体験したことで、40代にして初めて人の痛みが分かるようになった。これでやっと彼女は一人前の人間になれたのである。
・ピアニスト★★★★★(★5つで満点)