歓びを歌にのせて
いわゆる音楽スポ根ものとはひと味違う。シリアスなシーンも多いが、終局は9.11後の世界のあるべき姿を提示しているようにも感じられ、深い歓びが湧いてくる傑作だ。
名声を手にしたスエーデンの世界的な指揮者&作曲家ダニエルは、身を削るような集中力と過密スケジュールが災いし、演奏会で倒れてしまう。彼は孤独のうちに引退して、7歳のときに離れた故郷の小さな村に引きこもるが、村人には故郷であることを告げていない。生れて初めて安らぎの場所を得たのだから、そっとしておいてほしかったのだ。
しかし、村人が彼ほどの芸術家を放っておくはずはなく、聖歌隊のアドバイザーを頼まれる。ダニエルは表舞台に立つことを望んではいなかったが、天使のようなやさしいレナから自身のデモテープを渡され、その歌声に魅せられて、指揮者になりたいと申し出る。
ダニエルの珠玉のような言葉の数々・・・。
「何よりも大切なのはよく聴くこと」
「すべての音楽はすでに存在している。我々はそれを掴み取るだけ」
「人は皆自分の声を持っている」
「ハーモニーを見つけよう」
「手を繋いで心の集中点を探そう」
「音楽は心から生れる」・・・。
彼は子供の頃からの夢である”人の心を開く音楽”を創りたいと思っていたが、今まで人を愛せなくて、それができなかった。聖歌隊との出会いに触発され、次第に彼らを愛するようになるダニエル。
高度な練習法を取り入れ、メンバーは練習に夢中になり、心を解放していく。この辺の演出は、ドキュメンタリーかと思われるほど素直で、温まる描写が秀逸。
しかし、閉鎖的な村落共同体ゆえの確執、宗教の矛盾、暴力などがさらけ出される。村人の誰もが 抑圧された日常を送っているのだ。
ダニエルをめぐって、おびただしい流血シーンの反復がある。
冒頭、幼い日に麦畑でバイオリンの練習をしていたダニエルを数人の少年が殴りつけるシーン。そのときに流れた血と、演奏会で倒れたときの血がオーバーラップする。
ダニエルが村に来た日、雪中に野ウサギを見つけ、彼は嬉しさのあまりカメラに収めるが、そのウサギは村人のハンターに撃たれ、牧師にプレゼントされる。ウサギの白い身体から噴出す血を悲しそうに見つめるダニエル。ウサギはダニエルのメタファーなのだ。
メンバーの一人であるガブリエラの夫が、嫉妬に狂ってダニエルを殴り血まみれにするが 、彼こそ麦畑でダニエルを殴った少年だった。
ラスト、ダニエルはトイレで倒れ、血に染まりながら、天使の歌声を聴く・・・。
ダニエルは、メシア=キリストだったのか?
彼は殴られ、痛めつけられるが、 音楽で人々に生きる歓びを与えて救済する。
彼が聖歌隊を一旦解雇されたとき、牧師の妻インゲは、「ダニエルが呼び起こすもののすごさは何物にも代えがたい。あなたは彼をはりつけにした」と夫を責める。
天使が見えるというレナは、マグダラのマリアのようだ。彼女は「死は存在しないから、怖くない」とダニエルに言う。
ガブリエラは、聖母マリアに受胎告知を与えた天使ガブリエルか?
ダニエルが村に来たときと出るとき、 バスの窓外に湖での飛び板飛び込みのシーンが映し出される。幼い日に「飛び込め、ダニエル!」と言われたときの回想であるが、その言葉こそ彼の人生を左右したのである。
なぜか?
「故郷に戻ってよかった。いい経験をした」と彼はレナに語る。
レナが彼に渡したデモテープの歌は、
「さあ飛び立とう/大空をわがものに/目を閉じて/心のままに・・・」という内容。
彼がこの音楽に感動したのは、あの日、思い切って飛び込んだから、自信がつき、音楽で成功したことを思い出したからだろう。
「 飛ぶ」というイメージを、日頃から彼は大切にしていた。本作では湖の見える丘の上と、湖の中の2回、彼は翼を広げるポーズをする。
レナも彼に 、「あなたの背中に天使の翼が見える」と言い、そのニュアンスを示唆している。
スエーデンの 幻想的な雪景色と白夜、静かな湖、小さな教会、廃校となった小学校などの映像美がすばらしく、キャスティングも演技もすべて申し分ない。
とりわけ音楽は、人間の声の美しさをいかんなく発揮して、魔法のように私たちを魅了する。 音楽ファンにはもちろん、そうではないない人にもおすすめの秀作である。
・歓びを歌にのせて ★★★★(★5つで満点)