父親たちの星条旗

 ”硫黄島の戦い”は太平洋戦争最大の激戦だ。唯一、米軍の死傷者が日本軍を上回ったことで知られている。

 44年夏、米軍は、東京まで約2,100 キロメートルのマリアナ諸島を占領。
 本土防衛の最後の砦として、日本軍は硫黄島に兵力約22,000名を送り込み、兵士たちは全員が死ぬまで戦うことを決意していた。
 米軍側にしても、硫黄島を入手すれば、はかり知れないほどのメリットがあった。


 こうして45年2月16日、米軍による硫黄島攻略作戦が始まった。
 この島は標高169メートルの摺鉢山があるほかはほぼ平らで、攻撃しやすいが防御しにくい地形だ。米軍は、5日もあればと楽勝できると確信していた。


 3日後に米軍が上陸。日本軍は、米軍の想定外の「地下陣地」による迎撃戦法を駆使して頑強に抵抗した。米軍は大打撃を受け、「最初の2日間で、米軍の死傷者・行方不明者は1,600名を超えた」と発表。
 これに対する米国内の不満が炸裂した。それだけに、2月23日に撮影した「摺鉢山に星条旗を掲げる海兵隊員」の写真が公表されると、全米が興奮し、6名の兵士は瞬く間に英雄となった。


 その後31日間にわたり、激しい攻防が続く。その結果、双方におびただしい死傷者が続出し、日本軍は約21,000名、米軍は約27,000名が死傷した。

 本作で、クリントが 双方の兵士たちに向ける眼差しは非常にやさしい。敵を不気味な存在として描くのではなく、戦場が敵も味方もないまさに修羅場そのものであることを強く訴えている。


 冒頭に近いシークェンスで、出航したばかりの軍艦から落ちた兵士を軍が見殺しにする場面がある。国家にとって兵士は所詮、ヒトではなくモノに過ぎないことを、彼らも観客も自覚する。戦場で兵士は、”国のために死ぬのではなく、戦友のために死ぬ”ことを予感させる事件だった。


 クリントは、日本でも米国でも国家からモノ扱いされる兵士たちを、モノではなく一人の人間として描写する。本作の兵士は、敵の兵士をモノとして見ていないのだ。
 例えば、日本の壕から米兵に向けられる銃口日本兵の視点で撮っている。
 手榴弾で自決した日本兵のむごたらしい死体を目にした米兵の表情は、「ざまあみろ」というのではなく、「明日は我が身」と思う兵士同士の哀悼の気持ちが感じられる。
 「奴らはどこにいるんだ」と敵を探す米兵の姿からは、敵も味方も判別できない混乱した状況のなかでどうやって戦えというのか、との絶望感が伝わってくる。


 戦うことへのモチベーションを 失った彼らが、”ただ戦友を助けるためにだけ命を捧げようとする(他者との同一化のみを目的とせざるを得ない)”酷い現実。
 しかし、国家の戦略の一環として、ヤラセにより英雄にまつりあげられたこの3人の生き残り兵士は、凱旋すると、”国のために戦った勇士”として、虚構の人生を送らねばならない。
 

 愛国心とは、実際に戦場で戦ったことがない人が持つものだ。
 3人の兵士の(心のこもらない)キャンペーンにより、戦時国債を買う”愛国心に満ちた(自分が生き延びるために、兵士を死に追いやる)国民”と、前線の兵士たちの心情とのギャップの深さに驚愕する。
 たとえ無事に帰還できたとしても、兵士たちの心の傷は深く、銃後の生活に適応できず、戦争の悲惨さは永遠に続くのである。


 帰還した兵士たちは、この自己矛盾をどう解決するのか・・・。


 本作の3人の兵士は、そうした多くの帰還兵の典型だろう。
 1人はだんまりを決め込み、悪夢にさいなまれながら、世間から身を隠して生きようとする。
 1人は人気を利用して出世しようとするが、世間からポイ捨てにされ、余儀なく敗残者生活を送る。
 もう1人は再び戦友との同一化を夢見て戦場に戻るが、帰還後は先住民差別とアイデンティティの喪失に苦しみ、心を病んでのたれ死にする。


 唯一、元衛生兵だけが何とか無事に生涯を送ることができた。

 なぜか。
 

 彼は、多くの兵士の「死」を看取ることで、「死」とは何であるのか、悟ったのだ。
 ”人間は「死」を目指して生きる存在であること。「死」が自分に固有のものであること。他者の代わりに死ぬのは不可能であること”を知った。
 だから、かけがえのない人生を1分1秒たりともおろそかにせず、真摯に生きたのである。  
 あの忌まわしい過去を決して忘れ去ることはできないからこそ、逆に過去から学んだことを糧にして自分の人生を開拓したのだ。


 本作は、戦争の虚しさと同時に、「死ぬこと」と「生きること」を深く考えさせる必見の問題作である。
(★5つで満点)