武士の一分

男性にとって都合の良い女性像が描かれており、観ていて気分が良くなかった。だが、若者の成長物語ということで観れば、それなりに得るものはある。


 「武士の一分」にこだわるあまり、献身的な愛を捧げてくれる妻・加世と話し合うこともせず、即刻、離縁を言い渡す短絡な夫・新之丞。
 手篭めにされた妻をいたわるのではなく、「妻を寝取られた、人の世話にすがる人生はいやだ」と、自分の名誉をまず考えるありようは、「夫婦愛」とはほど遠い。


 そんな夫に対し、「貴方との生活を守るためにやむを得なかったとはいえ、手篭めはともかく、脅迫されて不義を重ねた私が愚かだった。手討ちされてもしかたがないのに、助けてくれただけでもありがたい」と感謝する妻。


 さらに、おしゃべりな叔母が新之丞に、「加世に男がいる」と告げ口し、新之丞に「貴女の心の卑しさを白状している」と言わせるのも、女性=あさはか=蔑視の表現だ。
 登場する女性がただでさえ少ないのに、よくないイメージを刷り込まれるのではたまらない。


 この2人の行動も、元はといえば、親族会議の決定により、加世が上司の島田に口添えを頼みに行ったことから始まる。
 加世がそこで災難にあったのは不運だが、島田の評判を調べることもせず、彼女を一人で彼の元に行かせた親族にも責任があるはずだ。


 叔母もそうした事情を知っているので、加世の行状を新之丞にを知らせたら、自分達親族にも迷惑がかかること位承知していただろう。
 また、新之丞に何かと情報を知らせてくる彼の同僚が、御茶屋に通う島田の噂を知らないのはおかしい。告げ口をするのは、叔母(女性)ではなく、同僚(男性)にしたほうが自然ではないだろうか。


 お上の処分が加世の行動によるものではないと分った後も、加世に詫びるより前に、相手の男を斬ることばかり考えている新之丞。
 死ぬ覚悟で果し合いに臨むが、死んでしまっては、加世に報いることも、忠実な下男・徳平の生活を保証することもできないではないか。
 それでいて、果し合いに勝った後は、加世に復縁して欲しいと願い、彼女ももいつの間にか新之丞を赦し、家に戻っている・・・。


 変ではないか。


 妻は夫に振り回されたあげく、「夫婦愛」と称して懲りずに夫にくっついているのだ。
 仇討ちをしたことで簡単に元に戻ってしまう「夫婦愛」というのは、いただけない。


 加世が新之丞に不義を告白したとき、彼に愛があるのなら、彼女のしたことは自分や下男との生活を守るために仕方の無いことだった、と思いを馳せるべきではないか。
 まず、妻を疑い徳平に彼女を尾行させた自分の行動を詫びた後、加世をねぎらい、島田に復讐するのでなければ・・・。
 一方的な思い込みで私怨をはらしたとしても、加世は浮かばれない。あの激しい雷雨の中、彼女の話も十分聞かずに激怒して、離縁するなんて・・・。
 加世にも「女の一分」があるはずだ。新之丞のほうから詫び、復縁を頼み込んで来るまで、決して赦してはいけないと思う。女がすたるというものだ。


 ところで、本作は、「隠しごと」がキーワードになっている。ほとんどは相手を思う余りの「隠しごと」であるが、「嘘も方便」とはならず、悲劇を招いてしまう。
 新之丞は、加世と徳平に、目の見えないことを隠す。
 加世と徳平は、新之丞に、「盲目になる」と医者から言われたことを隠す。
 加世は新之丞に、蛍の飛来を隠す。
 加世は、徳平と新之丞に、島田に頼みごとをしたことと突然の災難を隠す。
 新之丞は加世を疑っていることを隠し、徳平に尾行させる・・・。


  嘘がばれ、次々に真実が分る。何事も最後まで隠しておくことなどできないのだ。
 ラスト近くで新之丞は言う。
 「何も知らないほうが良かったのか。いや、そうではない」と。

 この含蓄のある台詞が本作のテーマである。


 「知らない」ままに、世の中を渡ることができれば楽だ。
 だが、「知る」ことで、その結果苦しんだとしても、人間性を磨くチャンスになる。

 新之丞は、告げ口により妻の行動を知ることになるが、、そのことが真実=島田の悪行を知るきっかけともなる。
 そして、果たし合いに挑むために、腕と心の研鑽に励む。
 剣術の師匠に教わった極意「必死すなわち生くるなり(神のような無欲の心でいることが、生きることにつながる)」を念じながら。


 劣勢の盲人・新之丞は、”必死(死を覚悟して)”で決闘に望む 。目明きの島田は、優勢であり生に執着している。見えている分、油断がある。
 無欲の新之丞と我欲の島田。  
 勝敗は明らかだ。


 象徴や伏線の数々が興味深い。
 新之丞が飼っていたつがいの小鳥は、果たし合いの後1羽が死ぬ。
 彼はもう1羽を逃がし、籠の中は「無」になる。つまらない武士の意地など捨てた彼の境地を示す。 
 加世が初めて島田宅を訪れたとき、大屋根の俯瞰映像がある。果たし合いで、島田が屋根の上から卑怯な戦法をとることを暗示している。
 加世の芋がらの煮物とたすきは夫婦の絆の象徴だ。
 師匠が新之丞との手合いの場で、気配を知らせるために湯飲みを投げたり、「命のやりとりでは、相手は何をやるか分からん」「共に死するをもって心となす。勝ちはその中にあり。必死すなわち生くるなり」と、極意を授けるのも、決闘時の勝利につながる。


 「武士の一分」とは、妻を騙してレイプした悪役の上司に対して 、事情を知らない侍たちが献上したほめ言葉 だったことが最後に明かされる。これは山田監督流の皮肉だろう。
(★5つで満点)