フローズン・リバー

(ネタバレ注意!)凍てついたセントローレンス川。この川を挟んで、カナダとアメリカの国境がある。一帯には先住民モホーク族の保留地が広がり、彼等には国境はない。


本作は、先住民/白人 、部族の宗教/キリスト教、女/男、常勤/パート、カナダ/アメリカ、アジア/西欧・・・といった境界をテーマに現代社会を抉った、スリリングで奥深い秀作である。


”国境は重大なもの”と考える白人に対して、先住民は”元来の居住地を往来しているだけ”。保留地は治外法権なのだ。
とはいうものの、国境を越えて不法移民を運ぶことは、市民としてタブーである。部族の掟では、従わなければ5年間の追放が待っている。


国境越えにも差別がある。白人はよほどでないと検問所で疑われないが、先住民は怪しまれ、逮捕こそされないが、現金を没収されるのだ。
そのからくりを活用し、2人の女は共犯者となる。


本作では男は不在である。
 なぜ居ないのかは、女たちやその子どもの会話から類推できる。


 先住民の女ライラの夫は、薄氷の川を無理に渡ろうとして溺死した。
 彼女は、1歳の息子を”部族の男”ということで義母に取られてしまう。
 そのうえ、目が悪いのでまともな仕事につけない。八方塞状態だ。
 折角見つけた仕事も、部族の男は「女には、運び屋として必要なトランクつきの車は売らない」という。


 一方 白人の女レイの夫は、ギャンブル好きのため妻に脚を撃たれ、新居(トレーラーハウス)購入資金を持って失踪した。
 彼女はパート労働者でその日暮らし。すぐに常勤になれるという約束も、母親であることを理由に果たされない。15歳と5歳の息子は父を求めている・・・。


彼女たちの共通点は、貧困であること、と息子を持つ母親であること。
 家族と穏やかな日々を送るには、それなりの金が要る。


 そこで、不法移民であるアジア人を、レイの車のトランクに入れ、凍った川を渡ってカナダからアメリカに運ぶ危険な仕事を共同で請け負い、報酬を山分けすることにする。
 ここで、先住民/白人という垣根は低くなり、持ちつ持たれつの関係となる。


運び屋の仕事の途中で、レイは、アジア人に対する認識の乏しさから、パキスタンの不法移民を短絡にテロリストと決め付け、彼らのバッグを危険だからと路上に放り出す。
実は、中には赤ちゃんが入れられていたのだ。


そのことが判明ると、2人は薄氷の上を命がけで引き返し、バッグを発見する。
 ライラは車内で赤ちゃんを必死で温め、無事を確認して両親に渡す。


「貴女が生き返らせたのよ」とライラを称えるレイ。
部族の宗教を信じるライラは、「私じゃない。創造主よ」という。
 キリスト教徒のレイは、彼等と宗教観に違いは無いことを認識する。


 ここで、さらに2人の境界が溶け、共感さえ生まれる。
しかも、アジア人とも、”親として我が子を愛する気持”をベースに、共通項を見出す。


稼いだ金でメガネを買い、「これからはまともな仕事をする」と宣言するライラに、「後1回だけ」と、新居購入資金欲しさに共犯を強いるレイ。
 いやいや引き受けるライラだが、そんな時に限って、警察に追われ、捕まってしまう。


 ライラの部族追放5年か、レイの4ヶ月の刑か・・・。
治外法権なので、そのどちらかに従えば許されるのだ。


「 レイには2人の子どもがいる。母親不在では可哀想」と、ライラは身を差し出すが、
「 5年間も息子に会えないのは気の毒」と、レイは服役することにする。
 「その代わりに、ライラは赤ちゃんを取り戻して、私の子どもたちと一緒に暮らし、子守をして欲しい」と提案する。


父親の手づくりのメリーゴーランドを修理したレイの長男は、弟とライラの赤ちゃんを乗せて、得意そうに回転させる。
ここでは、過去とは違う現在がある。
 家族の境界はなくなったのだ。
強い絆で結ばれた2つの家族の、新たな旅立ちを予感させる、美しいエンディングに
心を打たれた。


2人は、ニッチもサッチも行かない”麻痺状態”を経験したため、見返り無しの”歓待”をすることができたのだ。


ライラのメガネは、それ以前の”目が見えないのに札を勘定しなければならない”という袋小路を打開し、まともな仕事に就き、希望に燃えて生きる意志の象徴である。
 彼女は、命を賭してアジア人の赤ちゃんを助け、また、レイ母子のためにも犠牲になろうとした。
  レイも、子どもの要求する夫探しと日銭稼ぎの必要性との狭間で苦悶した。
 しかし、割れそうな氷上を、ただ赤ちゃんを助けたい一心で運転し、ついには神の恩寵を感た。それは、服役という自己犠牲を進んで行うことにも繋がっていく。


”我が身を捨てて他者に尽くす”。
 この歓待性は、他者へと開かれた、境界のない世界でのみ可能となる。
 そのことはまた、自らの未来を切り開く糸口にもなるのだ。
 本作は、まぎれもなくフェミニズムの映画である。
(★5つで満点)