プレシャス


「葦牙」と「プレシャス」に通底するもの。


 児童虐待をテーマにした話題の2作品。前者は岩手県児童養護施設が舞台のドキュメンタリーで、昨年度のキネ旬文化映画部門6位受賞、後者は米国の女性作家の小説を素材にしたアメリカ映画で、各国の映画賞を総なめにした。

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 双方とも現代社会の暗部をさらけ出した良質の作品ではあるが、違和感を憶えた。被虐待児たちが自力で未来を開いてく姿のけなげさには胸を打たれる。しかし、それだけでは解決できない根源的な問題が社会の底流にあることを映画は提起していない。


 登場する虐待者は母親が多い。父親は声だけとか、身体のパーツだけ垣間見える程度なので、視覚的には鬼母ぶりばかりが目に付く。
 母親の虐待の背景には、彼女自身の父親やパートナーである男性の思想、つまり「家父長制」が大昔から現在に至るまで厳然と存在し、女性が差別や搾取、支配されている状況がある。
 何と世界中で実に男性の8割が、何らかの形で伴侶や我が子をDVしているといわれる。そうした被害者のトラウマが暴力の連鎖を生んでいるのに、これらの作品の男性監督たちはそのことにほとんど言及していない。


 「葦牙」では、母親自身が親や夫から受けた暴力や夫の家出などが原因となった我が子に対するDV及び育児放棄が語られるが、”男尊女卑”思想に関しては無言である。
「プレシャス」では、実の娘に対して、幼少時から父親による性的虐待と母親の嫉妬や喪失感による暴力・育児放棄が行われる。母と娘が1人の男を奪い合う構図を、彼は他人事のように無視し、平然と長年利用しているのに、裁かれることもない。


 とはいうものの、2作品には評価すべき共通点もいくつかある。
 そのひとつが、精神分析の「喪を生きる作業」がきちんと捉えられていること。
 一般に赤ちゃんは、母子の至福の融合状態から次の段階の自立へと向かう時、言葉を獲得し、言語を通して失われた母を見出そうとする。


 「葦牙」では、親から充分な育児を受けられなかった子どもたちが、施設の職員の指導により言葉を磨き、文章を創作していくなかで、親を乗り越えていく様子がしっかり描かれており感動的だ。
 「プレシャス」では、 文盲の娘が自分の意思で代替学校に通い、熱心な教師と出会って文字を会得。そうすることで初めて、同性として母の心情を理解することが出来るのだった・・・。
(★5つで満点)
(初出『シネマ談論風発Vol.123』に加筆)