日本の保健婦さん

 友人の映画監督・武重邦夫(故今村昌平監督の愛弟子)が、素敵な記録映画を作った。
名古屋市在住の96歳の女性が主人公である。

 
まるでドラマのような、波瀾万丈の人世。
 こんなに面白いとは・・・。タイトルから想像していた内容とは大違いだ。


 大正7(1918)年生まれ。昭和17(1942)年、名古屋市初の保健婦(現在の呼称は保健師)になり、96歳の今も、専門家として研鑽を続ける前田黎生(あけみ)さんの一生を辿った、希有のドキュメンタリーである。
 彼女と同い年で健在の私の母とは、全く違う彼女の生きざまに度肝を抜かれた。 


私の母はいわゆる「可愛いいおばあちゃん」だ。他人から「いい人」といわれ、皆に好かれることがモットー。思ったことをなるべく口に出さず、やりたいことも我慢し、それが幸せの秘訣だと思い込んでいる。
 そのせいか、デイサービスでも人気者。身内にも大事にされている。


 一方、前田さんは若いときから信念がぶれず、自分に正直に生きている。自分の考えをズバっと言いい、実行力がある。
 好奇心が旺盛で、保健師に関することは勿論、フェミニズムや趣味の文芸についての研究も怠らない。


どちらが幸せか?なんて比べることはできない。人世は十人十色なのだから。


  私は何よりも、前田さんの情熱的な生き方に惹かれる。彼女は、文学青年の父親が平塚雷鳥に傾倒していたので、その影響を受け、早くから自立した女性をめざしていた。


  無産者診療所でボランティアをしただけで、治安維持法にひっかかり、4年も投獄された。
 しかし、反権力を貫き、今もみずみずしい詩を書いている。

 戦後は、地域住民のための保健所保健婦として、公衆衛生の徹底に貢献し、保健婦の地位向上に尽力。名古屋発の保健婦全国ネットワークを構築し、安曇野に「保健婦資料館」も建てた。


  定年後は企業戦士のための産業保健婦になるが、労務管理の手先になりたくないと辞職。保健婦の視点で社会運動を展開し、多くの専門誌に記事を書いている。


  本作の圧巻は、彼女に自身のセクシャリティーを語らせたところにある。
 理路整然と女性の性欲について話し、名古屋在住の作家・山下智恵子の小説「サダと二人の女」の阿部定に共感を寄せる。
 「定はどうしようもない女だが、正直で人間的だ。男性本位の社会における女性の地位を問題提起している」と言う。


 定と前田さんには、共通点が多い。少女時代、共に他家に預けられた経験があり、十代半ばで家を出て自活している。
さらに、生涯に一度の激しい恋愛をし、そのために人世を狂わせてしまうが、みごとに立ち直ってみせる・・・。


 本作は、前田さんが激動の時代を自立した女性としてどう生きぬいてきたか、を克明に描いている。
 妻として、母として、女として、ある時は社会と戦い、ある時は共存する。
  アクティブにフェミニズムを追求し、体現してきた前田さんは妖艶でさえある。


   監督は、彼女のつきない魅力を丁寧に引き出している。
   高齢にも関わらず、まだまだ活躍の場が広がっていることに驚く。
  願わくば続編が観たいものだ。
(★5つで満点)